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自分を観る(2)

  前回は外ばかりを観ているがために、
  自分を“観失う”ことについて触れました。

  今回はどのようにすれば
  「自分を観る」ことができるのかについて
  少し触れてみたいと思います。

  作家の田口ランディさんが、日本トランスパーソナル学会の
  ニュースレターで以下のようなことを寄稿されてました。

 (以 下)

  二十代の頃、私は自分の寄る辺のなさに不安を感じていた。
  スピリチュアリティ、アニミズムのような土着性に惹かれたのも、
  自分にとっての「いまここ」が脆弱だったからに違いない。
  私という自我意識に連結した土地の記憶、歴史性、民族性、
  血縁、社会、共同体、それらの密なる繋がりのなかで
  立ち上がってくるはずの「私といういまここ」。
  しかしその手応えのなさに、私はとまどい、身悶えしていた。
  私は私のなかに、「私はだれ」かを探し求めて
  自家中毒状態だった。

  
  ここで興味深いと思いましたことは、
  私という個としての存在を確かめるが故に、
  “つながり”を求めていることです。
  
  自分という存在を確かめようと思ったときに、
  一般的には個という枠の中で過去を振り返ったり、
  内省したりすることが多いのですが、
  ランディさんは、外につながってゆくことによって、
  自分という存在を感じたいと思ったようです。

  さまざまなものとつながってゆくことによって、
  かえって自分を観失ってしまうのではないか
  と危惧される方もいらっしゃるかもしれませんが、
  ここでポイントとなることは、
  ランディさんはつながってゆく過程で
  感じている自分の内なる声(感覚)に
  常に耳を傾けようと努めていたところです。

  実はこのようなランディさんの姿勢こそが、
  外からの様々な情報や刺激に翻弄されそうになったときに、
  自分を観失わずにいるうえでとても役立つ気がします。

  今の時代、外からの様々な情報や刺激を
  完全にシャットアウトすることはできません。

  むしろそのようなものに自分を晒しながらも、
  その過程で自分の内側に生じている感覚にも、
  しっかりと目を向けてあげる・・・。

  この積み重ねが「自分を観る」ということにつながり、
  自分という存在の立ち位置や自分そのものを知ることにも
  自ずとつながってくるのではないかと思うのです。

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